2015年5月9日
春日大社では「神鹿」として大切にされてきたシカ。しかし今では、奈良も含めて日本各地で農作物や森林に多大な影響を与えている。シカと人間、シカと森林、そして人間と森林。シカをめぐる問題を考える時、この三者の相互関係を無視することはできない。三者の持続的共存を維持するためにはどうすればよいのか。このシンポジウムは、植物生態学および動物生態学の研究者、そして狩猟者という、それぞれに森林やシカと向き合っている方々の講演と討論から、この問題に迫ろうというものであった。
トップバッターの松井氏は、若木のうちからシカの食害や樹皮剥ぎに遭うことから稚樹が育たず、シラビソやトウヒなどの樹木が世代交代していないこと、樹木の枯死やシカの嗜好植物が失われつつあることなど、紀伊山地の現状を報告された。環境省が防鹿柵を設置しモニタリングしていることも紹介され、貴重な自然植生を守るためには、適切な個体数管理と計画的な狩猟が必要であることを指摘される一方で、シカの影響をゼロにするには絶滅寸前まで個体数を減らすことになるだろう、と闇雲に個体数を減らすことに警鐘をならされた。
つづく前迫氏は、春日山におけるシカ問題について取り上げた。特別天然記念物に指定されている春日山原始林には、ナンキンハゼやナギといった外来種が侵入しており、長期間採食圧がかかると、不可逆的に自然植生が変化してしまうのではないか、との懸念を表明された。そして、シカ柵だけでは防ぎきれないシカ害について、広域的に生息地管理することで解決する必要があること、また、その合意形成のためには科学的知見が必要であることを述べられた。
個体数管理にばかり頼っていて農業被害対策につながるのか。3番目の講演者である幸田氏は、国の個体数管理第一という姿勢に疑問を投げかけられた。「保護対象」だったシカが今では「管理対象」として扱われていることや、その背景にあるシカと人間の関わりについて時代をさかのぼって紹介された。この講演を聴いていて私は、人間活動によってその数や立場を大きく変えるシカを、個体数管理によって「管理」するだけでは問題の解決にならないのかもしれない、と感じた。
幸田氏の講演とも関連して、揚妻氏は「日本本来の植物生態系・日本固有の生物多様性を語るのならば、かつてのシカが多かった時代の植生の動態を知る必要がある。」そう強調された。揚妻氏は、そもそも現在の状況を「不自然な」状況とみなすのはなぜか、としばしば暗黙のうちに了解されている前提条件から問い直し、現況を知るためには過去を知る必要があることを指摘された。そして、過去に遡る資料の分析から、シカの個体数増加を地球温暖化やオオカミの絶滅、またはハンターの減少という理由で説明することに対して疑問を投げかけ、ご自身の考えを披露された。
屋久島に生息するヤクシカを対象に調査している辻野氏は、屋久島の希少な植物や農作物への被害を減らすために、ヤクシカを大量に捕獲することに対して、待ったをかけられる。ヤクシカは生植物よりも落ち葉や果実を嗜好すること、調査では稚樹の減少は見られなかったことを紹介された。ヤクシカが増加しているのは確かであるが、屋久島の植生や農業を守るための方策として、ヤクシカの捕獲だけを考えるのではなく、様々な方法を模索していくべきだと主張された。
シカの個体数管理の必要性を指摘する研究者は多いが、実際それを担うのは狩猟者である。ジビエ本宮の手塚さんは、狩猟者という立場からシカと人間の関係について語られた。ご自身は、わなでシカやイノシシを捕獲し食肉加工して販売されている。ジビエ料理は日本人にはなじみが薄いが、ジビエ料理を普及させたいと意気込みを語られた。「命あるものは丁寧に食べたい。ただ害獣として駆除するだけではなく、命を大切にいただく。」との思は、人間と野生動物の関係を忘れられがちな現代において、一つの大切な視点かと思った。
白熱したパネルディスカッションの最後に、スピーカーひとりひとりがシカ問題の解決に向けて必要だと感じることを語られた。それらを私なりに要約すれば、
「未来の種の多様性を守るためには、過去から学び、現在を注意深く観察することが必要で、科学的な調査データに基づかない無計画な施策や、現場と研究者の断絶は避けなければならない。」ということになるのではないだろうか。
このシンポジウムでは、植物生態学、動物生態学などという枠組みを越えて、シカ―森林―人間の関係について考える良い機会を提供していただいたように思う。終わりになりましたが、ご講演いただいた演者の方々に御礼を申し上げます。
(文責:奈良女子大学 文学部人文社会学科3回生 大田千絵)