2024年5月15日
自分の足で歩いて、見て、感じて、地域の人に話を聞いてなどのことをあらわしている文章には説得力がある。読んでいて楽しく感じる。まさしく本書がそうである。
私は学校を退職して文化財や考古学に詳しい人たちと一緒に奈良県を中心に歩く機会が多くなった。文化財の修復に関わった苦労話、古代の歴史に関する話などその地を訪れて貴重な話を聞かせて貰っている。しかし、地理学の視点からの説明は殆ど無く、この度本書を目にして現地を訪れた時、新たな視点が増えたと思って喜んでいる。
奈良を知るための本は数多く書店の棚にそこかしこに並んでいる。しかし地理学の面から書きあらわされているものは少ないようである。
本書の構成は7章で、それぞれ簡単にその内容等について記すと次のようになる。
第一章「大和高原―巨石と茶畑の景観」(浅田晴久)
この地域は私自身何度か訪れたことがある。巨岩は何回も目にしてきたが、その巨岩を有する大和高原の成り立ちについて、またその地域の抱える問題等について思いを巡らすことはなかった。この章ではこれらのことについて説明がなされている。
第二章「奈良盆地―水環境をめぐる問題」(高田将志)
古奈良湖についての見解や水の確保のために、ため池の他まんぼと呼ばれる横井戸、かくし井戸があったことや空毛と呼ばれる農法があったことなどについて触れられていて大変興味を持つことができた。
第三章「奈良―都市化と周辺的都市施設の立地」(石崎研ニ)
周辺的都市施設(刑務所、精神科病院、火葬場、下水処理場、競輪場など)についての痕跡をたどり、跡地利用の使い道が市街化調整区域と市街化区域で大きく左右され、奈良競馬場跡地の新津風呂集落は市街化調整区域であるため昔とそれほど変わっていないのではないかとのことである。人が作った制度で土地の歴史が変わることがあることも心に留めておきたい。
第四章「大和郡山―都市空間の歴史」(吉田容子)
最初に大和朝廷の都市造りに触れ、条坊制と条里制について説明がなされている。次に大和郡山周辺には荘園がいくつもあったことや環濠集落が見られることについて触れ、最後に城下町の町中の様子が説明されている。是非自分の足で確かめていただきたい。
第五章「生駒・天理・三輪―門前町の歴史地理」(内田忠賢)
今昔マップを利用しながらそれぞれの門前町が説明されている。演歌に「女町エレジー」という歌があるがこれは生駒の宝山寺門前が花街だった頃を歌ったものと説明されていた。ユーチューブを開くと往年の方には懐かしい藤圭子などがカバーしている。天理では教会を中心に門前町が作られていったことが地形図を通して説明されていて宗教都市について理解することが出来る。そして三輪門前町については、三輪集落はただ門前町というだけでなく宿場町、市場町、職人町でもあり上街道が通っている交通の要所であったことが記されている。時代をさかのぼってその時々の地形図を見ることでその街の歴史や変貌ぶりが分かるという。
第六章「奈良市街―『地理総合』のモデル巡検」(落葉典雄)
パソコンを利用して巡検ルートマップ、断面図、色別標高図を出す方法、JR奈良駅を出発して油阪、近鉄奈良駅、奈良県庁、兵営・練兵場跡に奈良教育大学、奈良地方気象台、酒造会社、奈良ホテル、東向商店街と奈良基督教会などのことが紹介されている。本書を片手に気軽に歩いてみたくなるコースである。
第七章「十津川―『母子の村』の130年」(西村雄一郎)
母村である十津川村の谷瀬集落について林業が中心であったことや旧街道が尾根筋にあったことが説明されており、新十津川町では大規模な稲作が行われていることについて触れている。明治の水害により北海道に移住した際、冬の越し方をアイヌや囚人に教えてもらったことや富山県や新潟県などから入植した人たちとの文化が融合したものになったことなども書かれていて当時の様子を知ることが出来る。十津川村が置村130年を迎え人口、景色の変化が著しいこと、新十津川町はこれに比べ変化が緩やかなことなどが説明されている。
以上、不自由な説明なので内容を理解してもらうのは難しいが、是非手にとって見てもらいたい。
私は一度目を通して、暫くおいてまた目を通した。記憶容量が少ないのでなかなか頭の中に入っていかないこともあるが、再度目を通したい気持ちがわき上がってくる内容の本であった。私が二つ目に勤務した地は十津川村。それだけに十津川村には関心が深く、最初に第7章の『十津川村―「母子の村」の130年』に目を通した。十津川村高津の2枚の写真からは嘗ての田畑が樹木に変わり、放棄された田畑が増えたことが表されている。50年の時を経て地域がどう変わったかを写真で見ることができて大変興味深かった。出来ることなら更に50年後を見てみたいものだが、これは未来の子どもたちに任せるしかない。今後、村内の他地域の写真等も見たいものである。
十津川村では明治22年の大水害により多くの住民が移住を余儀なくされた。本書を通じて新十津川町とはどのような所で、母村との関係が未だに強く結ばれていることなどについて触れられている。絆が強い理由など村民の持っている他者への思いなどについても明らかにしてもらいたいところである。
7章を読んだ後、最初から目を通した。各章の地域はだいたい訪れたことのある所なので興味を持って読むことが出来た。現地を訪れる前に目を通しておけばもっと良かったのかもしれないが。
特に印象に残った章はどこかと問われると一つを答えることはなかなか難しい。どの章も執筆者が思い思い得意のテーマで書いていて、それぞれ引きつけられるものがあった。地理学がいろいろな分野と重なりあっていて幅が広く、それだけにどこからでも入っていける面白さがある。地理学の中味について幅広く知ることができて良かったように思う。
地理学の面白さを提供してくれた本書を奈良に住む人には是非読んでもらいたい。また他の地域から訪れる人も観光案内の書から一歩踏み込んでこの本を手にして欲しいと思う。きっと奈良を訪れる楽しさが倍加することと思う。そして児童・生徒に関わっている先生方にはこの書を通して奈良のことをより詳しく伝えてあげてもらいたい。
今後も続いて第二弾、三弾を期待したいところである。
【書誌情報】
編著者:浅田 晴久
ISBN:978-4-7803-1213-3 C0025
判 型:A5判
ページ数 :162頁
発行年月日:2022年03月
定価(本体価格1,700円+税)
ジャンル :奈良女子大学文学部〈まほろば〉叢書
(紀伊半島研究会会員 城内史郎 )